activitiesNeo・ミーナ回想記 2018

25 【がん疼痛……生きてるだけで精一杯(QOLの低下)】

がん放置療法で大変だったガーゼ付け替え作業は私の体力も時間も奪っていきました。
私の場合、乳がんからの大量の浸出液地獄から解放されるまで1年6ヶ月かかりました。

 

 

1度も看護師さんの力を借りず自力で病院や自宅で自分流でガーゼ付け替え作業をやり続けました。(お金も、随分使いました。ガーゼ代だけで、一ヵ月1万円程使っていました。)
自然療法を卒業した後の8ヶ月、寝たきりの私の浸出液の臭いは部屋中に充満していました。
ベッドの上には浸出液で濡れないようにペットのおしっこシートとバスタオルとタオルを何枚も重ね、その上に横たわっていました。
そして「痛い、痛い……」と悶絶しながら、液でびしょびしょに濡れたタオルとバスタオルを2時間おきに必死で交換し、洗濯は年金暮らしの母に頼んでいました(2012年4月まで)。
赤く腫れた乳がんの周りの皮膚は、ガンの浸出液で炎症し火傷の様な痛さになっていました。
ですから、カチカチに凍らせた保冷剤を何度も何度も、交換していました。24時間体制の作業です。もちろん誰かのお世話にならないと到底無理な作業です。
2台の冷蔵庫の冷凍室は保冷剤で満タンでした。皮膚が炎症で熱を持っているのでアッという間に、解けてしまいます。

 

 

その頃(末期状態)の乳がんの痛みは例える表現は『陣痛のような』としか、あてはまらないレベルになっていました。座薬も効いている体感は全く無く気休めのように使っていました。

夜も眠れず疲れ切った私は、耳が遠い母を呼ぶことがとても大変で枕元に呼び鈴を置いていました。私は、ギリギリの中を生きていました。
その経験から、終末期患者への痛み止めを適切に使わないやり方は残酷だと思いますし、早期からの緩和ケアは、とても必要で大切な事だと思っています。

 

 

今、振り返りながら思います。

まだまだ経験を生かせることが沢山あるなって。

ちなみに、その戦利品の様な大量のタオル達は、

2012年の冬にぞうきんに変身して、

私の新たなスタートのお手伝いに

一役かってくれています♬

 

声なき声の代弁者

北里ミーナ