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ガンと死の淵 vol.69

死の淵を超えるヒント

私が『余命一ヶ月宣告』を電話で報告する中に『死の淵を超えるヒント』が閃くきっかけの言葉をくれた友達が2人いました。

 

 

2人目の友達は入院中に知り合いになった女性でした。彼女は皮膚トラブルで入院していました。入院中に症状は軽くなるものの、退院するとまた元に戻ってしまうと嘆いていました。入院前は大丈夫だった食べ物が、退院後は症状を悪化させてしまうという『食事療法の負のスパイラル』に陥っていると嘆いていました。年齢が近かった事や、私自身も高校生になる迄その皮膚トラブルに悩まされていた事もあり、直ぐに仲良くなりました。その入院中に『私の不思議な体験』を時折話していました。

 

 

その女性に電話をかけ『余命一ヶ月宣告』の報告をした時の彼女のリアクションは、全く驚いていない様子が電話の向こうから伝わってきました。聞こえてきたのは冷静な声と言葉だったからです。その友人が私に言った『運命を変える言葉』。その言葉がきっかけとなり、生き残れる方法を手繰り寄せ始め決断することが出来ました。

 

 

優しく紐解いていく作業

その夜、心を一旦落ち着け冷静に考えていました。「どうして今までの私は(今となっては)助かる術である『抗ガン剤治療』を最初から拒否し、最終的に手遅れになってしまったのだろうか❓」と。【がんは、早期発見・早期治療】ピンクリボン運動も知っていました。娘からも強くすすめられた、国の保険適用のがん治療なのに関わらず、私は何故、手遅れになるまで拒否し続けたのだろうか❓」と。こんなに痛く辛い思いは治る為に仕方ないと頑張ったはずなのに、まさか自ら死に向かうよう頑張っていただけなんて……

 

 

残念な気持ちに追い打ちをかけるように「残された命が1ヶ月しか無いなら、この世に思い残す事が無いように何かしたい」気持ちや、「どこかへ行きたい」と思い出作りなど到底出来る体の状態では有りませんでした。なにせ激しい痛みが一日中私を襲い、胸から浸出液が流れ出ている為その必死な付け替えに時間も奪われ、咳も激しく意識も朦朧として、ただ生きているだけでも必死の状態でしたから……ですから、こうなったショック、悔しさ悲しみを訴える事さえも出来ませんでした。

 

 

体の辛さに追い討ちをかけるように、命をかけて信じていた事が一瞬にして逆転したのです。それだけはしっかりと理解できていました。数時間前までの自分と、それまでの自分を辿りながら、冷静にゆっくりと紐解いていきました。今までの、抗ガン剤治療から私を遠ざけさせる情報源を冷静に思い起こしてみて気がついた事…

 

 

私はある事に気づき然としました。それは、ずっと昔の古い記憶まで思い起こすと、自分自身を治療拒否に追い込む情報源を私も良かれと思い啓発していた事を思い出しました。自ら蒔いた種により、それが成長し私の所へ戻ってきただけだったのです。がんになる前の私は『自然が最高!人工物は悪』という思想。その私は良かれと思い確認や体験も無い、専門家でもないのに『抗がん剤の危険性』を発信していた人。実は無責任な善意の情報源者だったのです。もしも私の命が繋がったならば、良かれと思い拡散されている情報発信が、もしかしたら誰かの大切な命を奪う危険性がある事を伝えなければならない……そう強く思いました。