がん友との別れ。 vol.33
私の体が、金縛りにあったように急に動かなくなったのは『東日本大震災』の数日前でした。普通に歩ける以前の日常を送れない状態。基本的にはベッドで寝て過ごす日々が始まりました。痛みで夜が眠れないせいで、昼間はベッドでウトウトしている……立ち上がるだけでも『気合いを入れて、エイッと』という感じですから、横になっているのが1番楽でした。
3月4月は私も雪の女神も、日々酷くなっていく乳がんの痛みと痒みと寝不足とで疲れ果てていました。そのうち雪の女王は、乳がんからの出血を繰り返すようになっていました。ただでさえ食事制限や断食で痩せた体なのに乳がんから大量に出血するのです。正常な細胞ではない箇所の血管が破れるのですから、止血も時間がかかりました。
最初はビックリしていた雪の女神ですが、繰り返して行くうちに『乳がんからの出血』に慣れていきました。「あっ また出血しちゃったぁ(笑)」という風に。入院していた医院は散歩も療法の一つですが、いつ出血するか分からないリスクから『外出は控えるよう』促され、少しづつ部屋で過ごす時間が増えていきました。そのうち雪の女神は一人では歩けなくなり手押し式の補助用具を使うようになっていきました。
そしてついに、自由診療の医院は彼女に大きな病院へ転院することを勧めました。それは、その医院では基本的な自分の世話が出来る事が入院条件だからです。自分の事が出来ない状態だから入院するのが一般的ですが、健康増進が目的の医院なので少し個性的です。
その数日後、救急車が迎えに来ました。車椅子に乗り転院していく雪の女神の表情は、まだ自然療法で頑張りたかった、もう少し頑張れば治ったかもしれないという悔しさと大きな病院に移される不安でいっぱいのようでした。その時の表情が、私にとって雪の女神の最後の記憶になっています。