activitiesNeo・ミーナ回想記 2018

7【成長し続けるシコリ……痛みと逃避の限界】

~2010年11月~

ジワジワと成長し続けたシコリは遂に違和感が出はじめていました。
でも、そんな時には乳腺外科の待合室で読んだ本の記述を思い出していました。
「『良性でも、メロン大になる腫瘍が有る』……消滅する様子が無いという事は……良性でも悪性でも、いづれにしても手術しないといけないという事やん……嫌だなぁ……」

 

細胞の検査に行き、シコリの正体の確認をしなければと分かっていながら、いざ大きくなると躊躇してしまう……(本当に注射が大嫌いだったので。)検査を先延ばしにしているうちに、ますますシコリは成長し、秋頃には皮膚が赤くなっていました。
その赤くなった皮膚は、触ると痺れたような感じがして、感覚が鈍くなっていました。
頭の中では、早く検査に行ってハッキリさせなければと分かっていました。
ところが、痛そうで怖くて足が進まず、1日1日と時間が過ぎていきました。
そうこう迷っているうちに、初めはチクチクだった痛みが、次第にズキズキし始めてきました。
健康診断はスルー、痛みは増すばかり……
「ガンは痛くないっていうから、大丈夫じゃない??がんでは無いはず!」
と数人に断言され、なんとなく安心し痛みを我慢してしまいました。
そうは言っても自分の体です。痛みは次第に誤魔化せなくなり、もう一度乳腺外科の予約を入れました。その頃、シコリはピンポン球程に成長していました。

 

数日後、また同じ乳腺外科を訪れました。
まずはマンモグラフィー検査から。
しばらくして検査室に呼ばれ、私のシコリを見た女性技師の顔色が、一瞬にして変わるのがわかりりました。
「とても挟んで検査出来る状態では有りません。」
結局マンモグラフィーは出来ず、直接医師に診てもらう事になりました。
診察室に呼ばれ、私の赤いピンポン球のシコリを見た医師の表情も、一変して強張り次回には細胞を取る検査を勧められました。

 

その検査は麻酔をして、細胞を取り出す【生検検査】でした。
先ず、検査専用の器具を見せながら丁寧な説明でした。その時の生検の器具は、ただでさえ痛みと注射恐怖症の私の目には、恐ろしくまるで鉄砲の様に見えました。針の太さは様々でしたが、私はシコリが大きくなっているので太い針だと説明を受けたと思います。そして「このように使用します」と看護師さんが説明しながら引き金を引くと大きな爆発音が鳴り響きました。『バチン‼︎』と。爆発音と同時に私は心の中で「無理‼︎」と叫んだような気がします。
恐怖の検査に耐えれるか不安に思いながら、次回の予約を取り病院を後にしました。

 

シコリが小さい頃なら、まだいいかもしれませんが、今ズキズキして凄く痛むシコリに
そんな恐ろしい物を刺すだなんて……逃げ出したいけど逃げる場所や方法は無いかぁ……
私は、予約を入れて帰りましたが、スケジュール帳を確認すると丁度その日に外せない仕事があるのが分かり、やはり心を落ち着かせ後日改めて予約を入れようと、一旦キャンセルする事に決めました。
その後なかなか予約を入れない私を心配して下さった看護師さんから
「娘さんの為にも、検査に来てください!」
と何度か連絡が有りましたが、いざシコリが大きくなり痛みが強くなってくると、ここに生検を刺すイメージの恐怖の方が大きくなり過ぎて、行動ができなくなり逃げてしまっていました。
「検査したくない……シコリよ縮まって……痛くなくなって……検査怖い……」
祈っていましたが、日に日に増す痛みは私を追いかけ続け、ついに我慢も限界になり
『怖さより痛みを取り除きたい。治療したい!』
という、痛みから解放されたい気持ちが勝つ状態になっていました。

 

声なき声の代弁者

北里ミーナ