activitiesネオミーナの生還記

61,ガン放置療法の限界点・見切り~2011年10月~

2011年10月中旬
毎日の2時間おきの付け替えと
毎日3人出産する程の激痛・・・
往復6時間の通院
(待ち時間はかなり長い為
ベッドに横になり
休ませていただきながら待っていました。
体力的に限界でした。)
一時期は
どんどん壊死して平たくなっていた乳癌ですが
根元の方は
全く縮んでいる様子が見られませんでした。
(今になって冷静に考えると
『壊死』とは、血液が流れなくなり
細胞が死んでしまう事だと分かります。
『治る=壊死』は、成立しないと思います。
当時は、そのお爺さん医師に言われるまま信じて
その落とし穴に、全く気付きませんでした。)
むしろ、乳がんの範囲を広げ続けていました。
その状況と変化する患部の様を
自分自身の体で確認した時に
「この状況は
お爺さん医師から言われているように、縮んでなんかいない。
むしろ進行しているみたいだ。
やっぱり温熱療法も、私には効果が無かった・・・
今度の通院の日に、手術する気になったと伝えよう。」
と、とうとう手術を心に決めました。
納得いくまで頑張って
結果を把握しての方向転換だったので
悔いは全く有りませんでした。
そう決めてからは
透明人間への問いかけても、無言で
その存在感は消えさっていました。