activitiesNeo・ミーナ回想記 2018

69【死の淵……ヒントと墓穴】

死の淵を超えるヒント

私が『余命一ヶ月宣告』を報告する電話の中に『死の淵を超えるヒント』を思い出すきっかけの言葉を発してくれた友達が2人いました。

 

 

2人目の友達は食事療法の入院中に知り合いになった女性でした。彼女は、別の病気で入院していました。入院中、症状は軽くなるものの、退院するとまた元に戻ってしまうと嘆いていました。入院前は大丈夫だった食べ物が、退院後は症状を悪化させてしまうという『食事療法の負のスパイラル』に陥ってしうと嘆いていました。

 

 

年齢が近かった事や私もその症状に高校生になる迄悩まされていた事もあり、直ぐに仲良くなりました。入院中に、その女性に『目に見えないスピリチュアル的な不思議な体験』を時折話していました。

 

 

その女性に電話をかけ『余命一ヶ月宣告』の報告をした時の彼女のリアクションですが、電話の向こうから伝わってきたのは全く驚いていない様子だった感じ。いたって冷静な声と言葉でした。

 

 

その友人が私に言った『運命を変える言葉』。その言葉がきっかけとなり、生き残れる方法を手繰り寄せ始める事に決めました。

 

 

 

優しく紐解いていく作業

その夜、心を一旦落ち着け冷静に考えていました。
「どうして私は今となっては助かる術である『抗ガン剤治療』を、最初から拒否し手遅れになってしまったのだろうか❓」と。

 

 

「がんは、早期発見・早期治療」、ピンクリボン運動という情報はを知っていた。娘からも強くすすめられ、国の保険適用のがん治療なのに関わらず、私は何故、手遅れになるまで拒否し続けたのだろうか❓」と。

 

 

治る為に頑張ったはずなのに、こんなに痛い、辛い思いは、自ら死に向かって頑張っていただけだったなんて……

 

 

ましてや残念な気持ちに追い打ちをかけるように「残された命が1ヶ月しか無いなら、この世に思い残す事が無いように何かしたい」や、「どこかへ行きたい」など到底出来る体の状態では有りませんでした。

 

 

なにせ激しい痛みが一日中私を遅い、胸から浸出液が流れ出てその付け替えに必死で、咳も激しく、生きているだけで必死の状態でしたから……ですから、こうなったショック、悔しさ悲しみを訴える事さえも出来ませんでした。

 

 

さらに追い討ちをかけるように命をかけて信じていた事が、一瞬にして逆転したのです。しっかりと理解した状態で。

 

 

冷静に数時間前までの自分と、それまでの自分を辿りながら、ゆっくりと紐解いていきました。今までの、抗ガン剤治療から私を遠ざけさせる情報源を冷静に思い起こしてみて気がついた事…

 

 

そして、ある、共通点に愕然としました。それは、更に古い記憶まで思い起こしてみると自分で自分自身を治療拒否に追い込む情報源を私も良かれと思い啓発していた事を思い出しました。

 

 

自ら蒔いた種により、それが成長し私の所へ戻ってきただけだったのです。がんになる前の私は『自然が最高!人工物は悪』という思想。その私は良かれと思い確認や体験も無く、専門家でもないくせに『抗がん剤の危険性』を発信していた、実は無責任な善意の情報源者だったのです。

 

 

ですから、もしも私の命が繋がったならば、良かれと思い拡散されている情報発信が、もしかしたら誰かの大切な命を奪う危険性がある事を伝えなければならないと……そう強く思いました。

 

声なき声の代弁者

北里ミーナ