activitiesNeo・ミーナ回想記 2018

45【ガン放置療法の……見切り】

2011年の夏頃
痛みが激しく連続しいてもたってもいられない状態になっていました。
大ベテラン医師から言われていた「君は、切ったら治る。」と言われた言葉を痛い時や苦しい時に思い出していました。
ですから「あぁ……手術して楽になりたい……」と、頻繁に思すようになっていました。

 

 

その年の夏は、女子サッカーがワールドカップで初優勝した年でした。
日本中が震災を乗り越える為に1つになっているのを見て、私も自分自身を奮い立たせ通院を続けていました。そう思っていても、限界を感じ、くじけそうになる度に透明人間に話しかけていました。
私「切ったらダメ??」
透明人間「切らんで よか!」
「切っていいやん‼︎」
「きらんでよか‼︎‼︎」
そんな会話を繰り返し、先が見えない中でなんとか命を繋いでいるだけでした。

 

 

~2011年10月~

2011年10月中旬
2時間おきのガーゼ付け替えと、毎日3人出産する程の激痛……往復6時間の通院。待ち時間が数時間の為、ベッドで休ませていただきながら待っていました。体力的に限界でした。

 

 

一時期はどんどん壊死して平たくなっていた乳がんですが、根元のような『乳がんと身体との境界線』は、縮む様子が見られませんでした。むしろ広がっているように感じました。もう、乳がんが広がりすぎて、どうなっているの自分の目で確認するのが困難な状態になっていました。

 

 

その状況と変化する患部の様を自分自身の目と体で確認した時に
「この状況は大ベテラン医師から言われているように、縮んでなんかいない。むしろ進行させているみたいだ。やっぱり温熱療法も、私には効果が無かった……今度の通院の日に、手術する気になったと伝えよう︎。」
とうとう手術を心に決めました。

 

 

納得いくまで頑張り結果を把握してからの方向転換だったので、悔いは有りませんでした。
そう決めてからは、透明人間へ問いかけても返事はなく存在感さえも消えさっていました。

 

声なき声の代弁者

北里ミーナ