がん疼痛/滲出液 vol.25
がん患部のガーゼ付け替え作業は私の体力も時間も奪っていきました。
私の場合、乳がんの大量の浸出液地獄から解放されるまで1年6ヶ月かかりました。
1度も看護師さんの力を借りず自分流でガーゼ付け替え作業をやり続けました。(お金も、随分使いました。ガーゼ代だけで、一ヵ月1万円程使っていました。)自宅に戻って寝たきりの 8ヶ月、私の浸出液の臭いは部屋中に充満していました
ベッドの上には浸出液で濡れないようにペット用おしっこシートとバスタオルとタオルを何枚も重ね、その上に横たわっていました。そして「痛い、痛い……」と悶絶しながら、びしょびしょに濡れたタオルとバスタオルを2時間おきに必死の思いで交換し、洗濯は年金暮らしの母に頼んでいました(2012年4月まで)。
乳がんの周りの皮膚は、ガンの浸出液で炎症し赤く腫れていて、火傷の様な痛さになっていました。少しでも冷やそうと、カチカチに凍らせた保冷剤を何度も何度も交換していました。24時間体制の作業です。もちろん誰かのお世話にならないと到底無理な作業です。2台の冷蔵庫の冷凍室は保冷剤でパンパンでした。皮膚が炎症で熱を持っているのでアッという間に、解けてしまうからです。
その末期状態の乳がんの痛みを例える表現は『陣痛のような』としか、あてはまらないレベルになっていました。座薬でさえ効いている体感は全く無く、気休めのように使っていました。夜も眠れず疲れ切った私は、耳が聞こえにくい母を呼ぶことがとても大変で枕元に呼び鈴を置いていました。私は、ギリギリの中を生きていました。
その経験から、終末期患者に痛み止めを適切に使わないのは残酷だと思いますし、早期の緩和ケアは、とても大切で必要な事だと思っています。ちなみに、その戦利品の様な大量のタオル達は、2012年の冬には全てぞうきんに変身して、私の新たなスタートのお手伝いに一役かってくれています♬