activitiesNeo・ミーナ回想記 2018

79【勇気付ける言葉……解放】

勇気付ける言葉・娘より

t長い長い土曜日の夜が明けやっと迎えた日曜日の朝ですが、モヤモヤしながらも『覚悟』が決まってきました。午前中は過ぎて、午後になっていました。

 

 

私は、もう手術が出来ず、間に合わないイメージも出来ていました。『覚悟』をしている手遅れという状態も前持って受け入れておかないと、かえってキツいし辛いと思ったからです。『最悪の事に対して 先手を打った』心の準備です。

 

 

どうにかなるものならプラスのイメージも出来るのでしょうが、状況が絶望的だと思ったのでショックを和らげる為には諦めるしかなかったのです。

 

 

そして入院中の病院から昼食の後にお散歩に出掛けました。ゆっくりと川にそって歩きながら気を落ち着け娘に諦めもついた報告と今までの詫びを伝えるために電話をしました。娘は電話に出ると、聞いてきました。

 

 

娘「どうなった??」
私「どうもなってない……ママ、もう死ぬかもしれん……」
娘「大丈夫って。ママは死なんって。だって(彼女が、そう思う理由を伝えられる)やけん!」
そして最後に 私の奇跡の体験の時の話を始めました。
(余命一ヶ月と告げられた 2日後に体験した『脱魂の話』)
私「まぁ そうやけど……」

 

 

そしてその言葉がキッカケになり元気を取り戻し明日の病院に行く時の心の準備と段取りをしながらいい結果を導き出すイメージをする事が出来ました。

 

 

絶望感からの脱出
娘が私に発したある言葉。

 

 

それを手掛かりに落ち着いて作戦をたてると答えが導き出されました。その方法は1つだけしか有りませんでした。
【私が病院に到着した日(月曜日)から 1番近い手術に滑り込める事。】

 

 

そして その滑り込み方は二通り有りました。
♣︎手術を連続で行ってもらう。
(私が紹介した友人は、2人連続手術の2番目だったそうです)

♣︎または、ドタキャンセルが入って、私が代わりに滑り込んで手術してもらう。
でした。

 

 

そんな調子のいいことなど、普通は無いと思いますが「無理だと思うけど。」や「なったらいいな(出来たらいいな)。」では命が無いのでしっかりイメージをしました。

 

 

イメージから確信に変わるまで落ち着いて何度も何度もイメージすることを繰り返しました。その未来のイメージがハッキリと私の中で出来上がったので日曜日の夜は、ぐっすりと安心して眠ることが出来ました。

 

 

そして翌朝の早朝に退院し電車に乗り込み、乳腺外科へ向かいました。

 

 

電車から見える景色……抗がん剤治療しながら何度も通院で見た景色を、次に見る時は『体に乳がんが無い状態』が出来上がっているはず。乳がんと一緒に見るのは最後だと思い、電車から見える景色を眺めながらスマイル先生のいる病院へと向かいました。
私の気持ちと心の段取りは手術をするつもり、いえ、手術する気満々でした。

 

声なき声の代弁者

北里ミーナ