activitiesNeo・ミーナ回想記 2018

102【末期ガン体験を経た現在の私/2014】

私は乳がんで『余命一ヶ月宣告』を体験しました。早期発見だった乳がんを「医療不信」になっていた私は治療拒否し放置したために手術不可能な状態になり、痛みや衰弱でQOLが低下した末、そう告げられました。

 

 

その後抗がん剤手術のお陰で社会復帰出来たと喜んでいられたのはたった半年の期間で3センチに急成長した『脳転移』が原因で意識不明になり自損事故現場から、病院へ救急搬送されていました。

 

 

でも、その脳転移は放射線の手術のお陰で3ヶ月後には、完全に消滅してしまいました。(2013年2月末)その全ての闘病期間は、約1000日に及びます。入院日数は 280日。3箇所の病院に入院し、相談も合わせると5箇所です。

 

 

時折「余命一ヶ月宣告された人でも、元気になれるのね~」と言われる事があります。その時、私は「私の場合は無治療で末期になったので、治療法が残っていたからです。しかも奇跡的にも間に合ったから良かっただけです。人それぞれ違うんですよ。」とお伝えしています。

 

 

家では8ヶ月、寝たきりで食事は、胸にトレーを乗せたまま食べていました。手で握れるように、おにぎりやサンドイッチが多かったです。飲み物は全て、ストローで飲んでいました。食事の用意・大量の洗濯・1日8回入ったお風呂の準備・保冷剤の準備など。母は付きっ切りで看病してくれていました。

 

 

『余命一ヶ月宣告』に涙を流さなかった私でさえ、遂には、心が壊れ去った闇の世界を体験する時が訪れました。その頃に始まった脳機能の後遺症も大変でしたが、最近少し軽くなりました。私の場合はお酒を飲んでいないのに泥酔しているような、そんな症状でした。

 

 

しかも、その症状の原因が、何か分からず悩み家族に相談しても娘からは「前からやろ。」とあしらわれ、抗がん剤の影響『ケモブレイン』かもしれないと専門医に相談にいくと「気のせい」と言われ、心療内科に行くと「夜寝れるなら心配ない」と帰されて出口がない霧の中にいるようでした。

 

 

 

そんな【当事者】の私だから出来る事。無理ないペースで行なっています。体験や感じた事、活動をブロブで発信したり、実際の画像をお見せ出来る事を強みにガン啓発活動をしています。

 

 

 

ガンの発見法や治療法は日々進化して、後にはガンの予防法も確立されガンに罹患しない時代は、そう遠くないかもしれません。その時まで私は私が出来ることを行っていこうと思っています。

 

声なき声の代弁者

北里ミーナ