activitiesNeo・ミーナ回想記 2018

82【さよなら……私の乳がん】

術台の上で・運命の2時間後

手術に臨む時に私が考えていたことは「今から2時間後には、私の体から乳がんがいなくなっている。」という事だけでした。

 

 

『時間が過ぎる事の有り難さ』を噛み締めていました。『時間は、なるべく ゆっくり流れた方が嬉しい』と思う事の方が多いかもしれませんが、その時ばかりは、今から2時間後が待ち遠しく緊急なトラブルが無いようにと祈りつつ2時間後の時点では、長く生きる確率が急激に上がるという不思議な感じでした。

 

 

「自分で自分の手術なんて出来ない。(冷静に血まみれになりながら、自分の体を切って縫い合わせるなんて不可能。もちろん、麻酔も手術も出来ませんが。)医師の存在。医療従事者の方々のお陰様。安全で清潔な環境がある事への感謝。

 

 

本当に本当に、 生まれてきて良かった……」そう心の中で思いました。本当は感謝を沢山伝えたかったけれど「ありがとうございます。」と言う事しか出来ませんでした。

 

 

手術台の上ではスマイル先生と少し会話を交わしながら麻酔が効いて意識を失うのを待ちました。意識を失う時も、少し笑顔だったと思います。

 

 

しばらくして起こされ、目が覚めて、目に入ってきた光景は、私のベッドの周りを微笑みを浮かべた家族が取り囲んでいる景色でした(この時点で安心しました)。

 

 

そして笑顔のスマイル先生から

「画像に写っていたガンは全て取り除く事が出来ましたよ♪断面にいるかもしれないので調べる検査にもう出しましたからね♪」
その言葉を聞いて
凄く安心して……
今度は気持ちよく眠りにつくように意識を失ったのを覚えています。

 

 

 

さよなら私の乳がん……

私は無事に乳がんの手術を終える事が出来ました。

 

 

その後はよほどの何かトラブルが無い限り2週間後の退院予定でした。所が私には色々といいアクシデントが起こり40日間の入院生活を送る事になりましたが、元気に退院することが出来ました。

 

 

乳がんでの入院はその時点でも合計200日以上に及んでいましたが、術後の入院時間は今迄と全く違い気持ちは晴れやかで穏やかにゆったりと流れていました。

 

 

体に乳がんが無いという心配な事があったのに、無くなった(消えた)という事はかなり心の負担を軽減してくれました。

 

 

その入院中、病室のテレビ特番で、田中好子さんが、乳がんで亡くなられていたと知りました。(その前年だそうですが、初めて知りました。)平気で見れる心境では有りませんでしたが私は、しっかりと目に焼き付ける事を選びました。病院で友達になった乳がん手術後の方々は気分的に見れなかったと言っていました。

 

 

田中好子さんの辛い時期の付き添われながら歩かれておられる姿や
弱々しい声など……術後の病理検査が出る前だったので、数ヶ月前の私の姿と被せ私の直ぐに転移してしまう可能性など心配しながらも
それでも しばらくは元気に過ごす事は出来るでしょうしそして たとえその元気な期間が短かったとしても手術成功出来てその普通に過ごせる時間を与えられた事だけでも感謝しても感謝しきれない気持ちでいっぱいでした。

 

声なき声の代弁者

北里ミーナ